
じゃんがらの北限、南限とはどこになるのだろうか。
2000年の夏に、私は北茨城市内のじゃんがらを追っかけたことがあった。そのときに、大津町、関本上、湯の網のじゃんがらの新盆周りにくっついて歩いた。現在、伝承されるじゃんがらでは、この湯の網が一番南である。
しかし、今回の取材で伺った大津の方からこんな話を伺った。
2000年の夏に、私は北茨城市内のじゃんがらを追っかけたことがあった。そのときに、大津町、関本上、湯の網のじゃんがらの新盆周りにくっついて歩いた。現在、伝承されるじゃんがらでは、この湯の網が一番南である。
しかし、今回の取材で伺った大津の方からこんな話を伺った。
「大津のじゃんがらが復活したときに、磯原の年寄りが見に来たんです。そしたら、その年寄りが、うち(磯原)にも昔じゃんがらがあって懐かしくて見に来たんだっていうの」
大津のじゃんがらが復活したのは昭和50年頃。そうすると、磯原にじゃんがらがあったのは昭和初期以前だと想定される。この話からすると、じゃんがらの南限は、磯原まで行くのかもしれない。
北茨城のじゃんがらの特徴といえば、やはり笛。今回、取材で伺った神岡上の80代の古老は、子供の頃から、腰に笛をぶらさげ、片時も笛を手放さなかったという根っからの笛吹き。
「じゃんがらは”さんがら”といって、太鼓と鉦と笛の三つがなきゃならない。でも、一番大事なのは笛。太鼓も鉦も、笛に合わせるんだから」
いわきのじゃんがらでも、遠野町などのように笛が入るじゃんがらがあるが、いわきのほうは、太鼓に笛を合わせるという。北茨城のじゃんがらは、いわきのじゃんがらとは逆で、笛が基本なのだ。先の大津町のじゃんがらも、笛がきっかけで復活したという。
「とらやんっていう笛の名人がいたの。この人が、床屋で笛を吹いていた。昔は床屋に人が集まってたからね。そしたら、じゃあ俺は、太鼓を家から持ってくる、俺は鉦持ってくるって、じゃんがらがはじまっちゃたの。それが、大津のじゃんがらの復活したきっかけ」
じゃんがらの中心に笛を置く北茨城と太鼓を重視するいわき。この明確なコントラストには、どんな意味があるだろう。それはただ単に笛という楽器が一つ増えただけにとどまらず、じゃんがらに関する概念の相違が横たわっているように思う。





